【中古】 川畠成道(Vn) Ave Maria 【CD】
¥330
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)アベ・マリア川畠成道(vn)ビエナール(p) 目を閉じれば、心が見える「歌の翼に」川畠成道(ヴァイオリン)彼の演奏会は毎回、鳴り止まない拍手とアンコールの応酬が続く。
単なる「視覚障害を持つヴァイオリニスト」という同情だけでは無いことは、その演奏を一度でも聞いた人であれば納得がいくはずだ。
彼には大きなコンクール受賞歴も無ければ、CDもなかった。
彼の演奏そのものが、聴衆の一人一人に真に自分の音楽を語りかけ、それが感動を呼び起こすのだ。
彼が視力をほぼ失ったのは8歳の時。
祖父母と一緒の米国旅行中に風邪をひき、その時に飲んだ薬が原因である。
副作用で「生存率5%」の重体となり、ロサンゼルスの病院に運び込まれた。
奇跡的に命をとりとめたものの、後遺症が残った。
家族の言葉を借りれば、突然舞い込んだ不幸に「絶望のどん底」に陥るが、悲しんでばかりはいられなかった。
10歳の時、父親と同じヴァイオリン奏者の道を選んだ。
ヴァイオリン奏者としてはかなり遅いスタートだ。
けれども彼は持ち前の頑張りで、両親が模造紙に書き写した五線譜を壁に貼り、一枚一枚はぎ取りながら弾いて練習を重ねた。
その数は百枚以上、部屋は大きな模造紙で一杯になった。
それからわずか3年後。
彼は巨匠、アイザック・スターンの公開レッスンでそのヴァイオリンを披露するという幸運に恵まれた。
生徒を一人の音楽家として対等に扱う彼のレッスンは率直で厳しいことで有名だが、そのスターンが「すばらしい」と連発した。
やがて彼は桐朋学園高校、同大学で学び、さらに恩師江藤俊哉氏のすすめでロンドンの英国王立音楽院の大学院に進学。
そして97年、同音楽院を首席で卒業。
ここでも彼は、同時に四半世紀に一度催されるたいへん由緒ある記念コンサートでソリストに抜擢される、という大きな栄誉とチャンスに恵まれた。
ブルッフの「スコットランド幻想曲」を弾き終えたとき、総立ちの聴衆が床を踏みならしながら熱狂的に讚えたその時こそ、川畠成道がプロの演奏家としての一歩を踏み出した瞬間だった。
そして彼には、王立音楽院史上二人目の「スペシャル・アーティスト・ステイタス」の称号を与えられた。
その栄誉は日英マスコミでも取り上げられ、その英国での感動が冷めやらぬわずか数ヶ月後の98年3月、母国日本においても、いきなりサントリーホールという桧舞台で、小林研一郎指揮による日本フィルとの共演でデビューを果たす。
メンデルスゾーンのコンチェルトを弾き終ったとき、聴衆の熱狂的な拍手は10分近く鳴り止まなかった。
続く紀尾井ホールの初ソロ・リサイタルでは、いつまでも鳴り止まない聴衆の拍手に対し、彼は延々5曲アンコールで応えた。
現在彼は、母親と二人でロンドンで暮らしている。
「英国に来てレッスンだけが音楽の勉強ではないことがわかりました。
バスの乗り降りなどの際に見せる英国人の優しさや親切、心の豊かさを感じ、演奏の表現が豊かになりました」と語る成道。
現在では譜面は全く見えず、母親が一小節ずつ弾くピアノの音で楽譜を覚える。
一日の大半を練習に当て、更なる目標に向かって前進する毎日である。
江藤俊哉氏は「川畠君が単に技術だけで終らない、その向こうに聞こえてくる人間の心を伝えることのできる、数少ない真の音楽家に育ってくれたことを思うとき、彼の成長に関わることができたことは私の誇りです。
将来の日本ヴァイオリン界をリードする音楽家として大きな期待と喜びを胸に、これからも川畠君の歩みを静かに見守っていきたいと思います。
」と語っている。
文責;ビクターエンタテインメント曲目リストDisc11.悪魔のトリル*バイオリン・ソナタ・ト短調/2.タンゴニ長調*スペイン/3.ラルゴ/4.エストレリータ/5.夢のあとに*3つの歌/6.庭の千草による演奏会用変奏曲*無伴奏ヴァイオリンの6つの練習曲/7.精霊の踊り*オルフェオとエウリディーチェ/8.ハンガリー舞曲第1番ト短調/9.夏の夕べ*気分・印象・思い出第1集/10.感傷的なワルツ*6つの小品/11.アヴェ・マリア
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)アベ・マリア川畠成道(vn)ビエナール(p) 目を閉じれば、心が見える「歌の翼に」川畠成道(ヴァイオリン)彼の演奏会は毎回、鳴り止まない拍手とアンコールの応酬が続く。
単なる「視覚障害を持つヴァイオリニスト」という同情だけでは無いことは、その演奏を一度でも聞いた人であれば納得がいくはずだ。
彼には大きなコンクール受賞歴も無ければ、CDもなかった。
彼の演奏そのものが、聴衆の一人一人に真に自分の音楽を語りかけ、それが感動を呼び起こすのだ。
彼が視力をほぼ失ったのは8歳の時。
祖父母と一緒の米国旅行中に風邪をひき、その時に飲んだ薬が原因である。
副作用で「生存率5%」の重体となり、ロサンゼルスの病院に運び込まれた。
奇跡的に命をとりとめたものの、後遺症が残った。
家族の言葉を借りれば、突然舞い込んだ不幸に「絶望のどん底」に陥るが、悲しんでばかりはいられなかった。
10歳の時、父親と同じヴァイオリン奏者の道を選んだ。
ヴァイオリン奏者としてはかなり遅いスタートだ。
けれども彼は持ち前の頑張りで、両親が模造紙に書き写した五線譜を壁に貼り、一枚一枚はぎ取りながら弾いて練習を重ねた。
その数は百枚以上、部屋は大きな模造紙で一杯になった。
それからわずか3年後。
彼は巨匠、アイザック・スターンの公開レッスンでそのヴァイオリンを披露するという幸運に恵まれた。
生徒を一人の音楽家として対等に扱う彼のレッスンは率直で厳しいことで有名だが、そのスターンが「すばらしい」と連発した。
やがて彼は桐朋学園高校、同大学で学び、さらに恩師江藤俊哉氏のすすめでロンドンの英国王立音楽院の大学院に進学。
そして97年、同音楽院を首席で卒業。
ここでも彼は、同時に四半世紀に一度催されるたいへん由緒ある記念コンサートでソリストに抜擢される、という大きな栄誉とチャンスに恵まれた。
ブルッフの「スコットランド幻想曲」を弾き終えたとき、総立ちの聴衆が床を踏みならしながら熱狂的に讚えたその時こそ、川畠成道がプロの演奏家としての一歩を踏み出した瞬間だった。
そして彼には、王立音楽院史上二人目の「スペシャル・アーティスト・ステイタス」の称号を与えられた。
その栄誉は日英マスコミでも取り上げられ、その英国での感動が冷めやらぬわずか数ヶ月後の98年3月、母国日本においても、いきなりサントリーホールという桧舞台で、小林研一郎指揮による日本フィルとの共演でデビューを果たす。
メンデルスゾーンのコンチェルトを弾き終ったとき、聴衆の熱狂的な拍手は10分近く鳴り止まなかった。
続く紀尾井ホールの初ソロ・リサイタルでは、いつまでも鳴り止まない聴衆の拍手に対し、彼は延々5曲アンコールで応えた。
現在彼は、母親と二人でロンドンで暮らしている。
「英国に来てレッスンだけが音楽の勉強ではないことがわかりました。
バスの乗り降りなどの際に見せる英国人の優しさや親切、心の豊かさを感じ、演奏の表現が豊かになりました」と語る成道。
現在では譜面は全く見えず、母親が一小節ずつ弾くピアノの音で楽譜を覚える。
一日の大半を練習に当て、更なる目標に向かって前進する毎日である。
江藤俊哉氏は「川畠君が単に技術だけで終らない、その向こうに聞こえてくる人間の心を伝えることのできる、数少ない真の音楽家に育ってくれたことを思うとき、彼の成長に関わることができたことは私の誇りです。
将来の日本ヴァイオリン界をリードする音楽家として大きな期待と喜びを胸に、これからも川畠君の歩みを静かに見守っていきたいと思います。
」と語っている。
文責;ビクターエンタテインメント曲目リストDisc11.悪魔のトリル*バイオリン・ソナタ・ト短調/2.タンゴニ長調*スペイン/3.ラルゴ/4.エストレリータ/5.夢のあとに*3つの歌/6.庭の千草による演奏会用変奏曲*無伴奏ヴァイオリンの6つの練習曲/7.精霊の踊り*オルフェオとエウリディーチェ/8.ハンガリー舞曲第1番ト短調/9.夏の夕べ*気分・印象・思い出第1集/10.感傷的なワルツ*6つの小品/11.アヴェ・マリア